tabibito9tabitoのブログ

旅人のタビトによるエッセイ

言葉に隠された『裏の意味』は果たして『読むべき』なのか…

言葉の裏や
行間を読むのを止めると、

物事は至極シンプルになる。


「あぁ、喉が渇いたな」
「お腹空いたな」と言う人は、

喉が渇いており、
腹が減っているのだ。



それ以上でも・以下でも無い。



「この荷物重いわ」
そうか、重いのか。

ソレで良い。




言葉の裏や
行間を読むと、

「この人は私に喉が渇いた・
腹が減った・
荷物が重いと訴えている。


解決してやらねばならないのじゃあるまいか。


そうだ、確かこの人の好みの物は…
云々かんぬん…」
と続いてしまう。


その結果、
「この飲み物・食べ物、
はたまた店は私の望んでいた物とは違う。


貴方の責任だ。


第一私は
(喉が渇いた・腹が減った)とは言ったが、
あなたに
ドウニカシテクレなどと頼んだ覚えは無い。



これは、

全て貴方の望んだ事で、

私のではない」



などと言われるのがオチだったりする。



全てを言葉通りに受け止めれば、
その先どうするかは、

それこそ、


私次第なのだ。





ちょうど私も喉が渇いているな、
ではそろそろ飲み物でも飲もうか、

なり、

私は喉は渇かない、
でもそろそろどこか座ってもイイ頃合だ、

なり、




自分の責任と
自分の意思と


で話を進めることができるのだ。





「この荷物が重くて難儀だ、
申し訳ないが少し手伝って(休ませて)
もらえないだろうか」と、

自分の頼みを

ハッキリ言葉にして


"please"




を付けられない人間の
『内なる思い』など、


こちらが読んではいけないのだ。

現実と幻のはざま

ある日、女性と知り合った。

彼女は最近こちらに越してきて
独りで美味しい店はないかと
ブラブラしていたらしい。

友人と食事をした店で
隣り合わせになったテーブルから
話し掛けてきた。


別段おかしなところも感じられなかったし、
何より
知らぬ土地に
女性独りというのに
何となく気の毒に思えて
連絡先を交換した。


後日彼女と会うことになった。


たまたま
イベントのチケットが余っていたので
どうかと誘ったのだった。


彼女は結婚していて、
仕事の都合で遅れている旦那より
一足先に引っ越してきて、
彼が来るのを待っているのだそうだ。

イベントの後、
喫茶店に落ち着く頃には
一通り自己紹介も済んでしまって、
そんな話になっていた。

コーヒーとケーキが運ばれてくる頃には、
実は
こちらに引っ越して来たのは
御近所トラブルが有ったのだと言う。

あぁ、
人間生きていれば
そんな目にも遭うことも有るなと
聞いていたら、

盗聴までされていて
家庭内の話が筒抜けだったのだ、
と。


そこまできて、
これは
アヤシイなと思い始めたけれど、

人間生きていれば
病気にだってなるのだから
仕方がない。

何より
まるで
頭のオカシナ人には見えないのに、
どんな
身なりも
受け答えもキチンとした人にも、
病は訪れるのだな、


むしろ気の毒に、

そして
全くオカシナ風に見えないことに
驚いていた。


彼女は
盗聴や尾行に苦しんで、
家の外にもおいそれとは出られない生活を
強いられ、

仕事から帰宅した彼と
入れ替わりのように
本の暫くの外出が出来た。

警察にも解決出来ず、
結局
引っ越すことにして、

仕事の都合のつかない彼より
一足先にこちらで部屋を借りて、

新居の建築が終わるのを待っている、
と言う。


後2カ月で出来上がるから、
どうぞ遊びに来てくれ。
その頃には旦那もこちらだし、
どうぞ気兼ねなく、と。



その夜
家に帰って私は
この事を知り合いに話した。


本当に
盗聴尾行と言い出すまで
何処もオカシクないし、
その話も本当に辛そうだったんだと。


まるで、嘘や作り話には思えなかったんだ、と。



すると帰ってきた返事はこうだった。





もしかするとその人、
旦那さんも実在しないかもよ。








小さな古書店


予定しない駅、
いつもと違う道。

そういう所へ迷い込んだ時は、
何か一つでも
ステキなモノに出くわさないものか、
見つけられないものかと思う。



可愛らしい小さな古本屋。



表のワゴンの100円セールの札に誘われて
覗き込んでみる。


お、
なんというラインナップ。


これがこの店での
『余剰な・売れ残り』達なのか??


それとも
店主の気まぐれか??



すでに5冊も抱えて、
店に入る。


外からは暗いばかりで何も見えなかったのが、
数十秒待つだけで
あれやこれや見えてくる。

ああ、
こんな所にあったのか。
まだあってくれたのかこんな店が。


それとも
出会えなくなったことに業を煮やした
ドナタかが、
作ってくれたのか…



会計する時に望んでいたのは、

強面の爺さんか、

小さな丸まったお婆ちゃまだったけれど、


そのどちらでもなく、

そろそろ若者時代が終わってしまうのに
反逆するように
波打った髪を
肩まで伸ばした、

洒落た服装の男性だった。

フクシマを思う(フクシマの桃)

福島原発ネタの友人と食事した。



話の流れで友人が

「以前読まなくなった本を寄付した時、
無償のばずがそのお礼として
とても美味しい桃が送られてきて、
たいそう感動したことがある」と話した。


時期的に考えて

『それはもしや、
福島の生産物の安全性を広めるのと、
復興支援の為に、
積極的に福島県産商品を送る
運動があったな』
と。


そこで

「アレじゃね」
って言ってやれば、

少しは復讐してやったりと
溜飲を下げることになった
のかもしれないけれど、

そんなやり方では

自分をも、
被災地に寄り添う人の思いをも
なんたが辱めるような気がして、

口にせずにいた事に
思わず感謝した。



その後話は

友人のお気に入りの店に
今季はろくな服が無い、
に漂って行き、

「ボーダーなんて置くのも止めて欲しいわ。
買う気にもならん。
誰が買うんだあんな悪趣味なもの」
へと向かった。






ドイツ人にとって、
戦後生まれの者であっても
アウシュビッツは遠くないらしい。





なら



『福島』は



我々にとってはまだ
『目の前で血を流しているのではないか』




と、
頷きながら心はそちらへ漂っていた。

フクシマを思う

今日、友達のドイツ人3人と食事して

「見たこと無いフルーツに出会った。
あれってなに?」
って聞かれて
結局判らなかったんだけど、
すると1人が

「福島産じゃない?」

って言って、



1人はそれに反応して笑ったんだよね。


それ聞いて傷ついたんだけど、
言い出せなかった。




『福島放射能ネタ』


みたいなの、
やっぱり笑えない。




かなり遠いので
揺れも明らかに「遠い」と素人にもわかったし、
放射能も直接なんら気を付けるでもなかった。


それでも毎日怖い思いはしたし、
神戸の地震も経験したし…


やっぱり笑えない。



『福島放射能ネタ』



なにより
友人の口から出た、
しかも
その2人は
日本でその地震を経験してるんだよね。




『福島フルーツ』なんて
言って欲しくなかった。




本当に悪い人達じゃないんだ。




その友人の口から出た言葉なのが、

ツラかった。





ドイツ人を叩くのは簡単だけど、
それでは何の解決にもならない。




解決したければ、

日本側の
『発信力』


疑問を持つべき。
なんだと思う。



なにせコレをジョークにしたのは
日本に10年以上住んでる
普段は性格の良い小市民
なんだから。


そんな人にまで

『届いてない』

のが、
問題なんだよ。




彼らは
『ナチスネタ』
には
ものすごい敏感、




日本のショーウィンドーに少し
ストライプの服
が並んでるだけでも

『居心地悪い』
感じがするんだって。



だから、
結局は


『日本にとっての
福島放射能ネタは

ドイツ人にとっての
ナチスネタ』だ


ってことが伝わってないんだと思う。



実際自分だって、
福島のこと忘れて生活してる。



時々
「琴線に触れた」
って
騒いでるんだから。




それと、
福島事故の直後、
自国の原発完全撤廃決定して、
実行したのも、

ドイツ人なんだよね。



それに、
『チャーター機で即刻帰国』
を命じた国もあった中で、


ドイツは
冷静に状況を見極めて
自国民を日本に滞在を許可した。



だから、
今度会ったら、



少なくとも

自分の思いだけは友達には伝えよう


と思う。






『ストライプ服着たり
買ったりする時は思い出して』
って教えてくれた友人に、

何も伝えられてない
ことも問題だしね。



他人に
『変われ』
と言うには、
結局
自分が
まず変わるなり、
アクション取るのが
近道とは思うんだよね。



それに
『思ったけど言わなかった』場合は、


『思った』
って所より、

『言わなかった』
って方にフォーカス置かないと
病んでしまう気がして…



もちろん
言っても無駄な人や
関係性なら止めておくんだが、




友達同士なんだから。

愛してやまないモノ

ネチネチ
ヌタヌタ練られて重くなったもので無く、

冷たいバターを
小麦粉の中で
      ただ切り分け続けたような種に

わざと表面に凹凸を付けて
            焼斑のでるようにして、

ギリギリ小麦粉が
     バターで繋がれているようなスコーン。



絶対腐らないだろう程の
           ラムの香り立つ、

卵と
バターと
ミルクを
   小麦粉が
   ギリギリ
     固形物として成り立たせているような、

中心は
  カスタードや
  プリンから
        変身してきたようなカヌレ。



強力粉が
    ギッシリして、

表面に
 ツルツルの
  古い日本家屋の
   良く出来た三和土みたいな光沢のでた、

小麦の甘さを
    塩が助け出した地味だけのベーグル。



持ち上げれば
   口まで届かないんじゃないかという程の
     ひび割れから今にも
 ホロホロ
    美味しい所が
       落ちてしまうような
               ダックワーズ。



歯を入れた瞬間から

         ギーと

             音がするような、


噛み切られる寸前で
圧縮されてそれが

         プツッと


         呆気なく


        終わるような、





クリームなど


     洒落たモノ


           の挟まりもしない
                  マカロン。



  アーモンドの側に   粉糖を置いて


       一晩寝ている間に
          勝手に
   クッキーになるんじゃないかという程の


          素朴で
    手の入れられていない味のする、


口に入れた瞬間-その魔法が解けて-夢から覚めて-
 最早-形を保てなくなって-粉に戻ってしまう



ブールドネージュ。

止め処なく


いろいろの物が
       一斉に押し寄せて、


しかもそれは
      外からでは無くて、


もうどうやって留まれば
           よいのかも、

ざらざらした粒状に分解されながら
           流れ出るように
             こぼれ落ちるように、

その衝動があまりに
         止め処なく、


ただ戦きながら
       立ち竦むしかなくて。




もろもろと
     足下から
         沈み込むような
                異様で
         現実感のない
     幻覚に
襲われる。