tabibito9tabitoのブログ

旅人のタビトによるエッセイ

言葉に隠された『裏の意味』は果たして『読むべき』なのか…

言葉の裏や
行間を読むのを止めると、

物事は至極シンプルになる。


「あぁ、喉が渇いたな」
「お腹空いたな」と言う人は、

喉が渇いており、
腹が減っているのだ。



それ以上でも・以下でも無い。



「この荷物重いわ」
そうか、重いのか。

ソレで良い。




言葉の裏や
行間を読むと、

「この人は私に喉が渇いた・
腹が減った・
荷物が重いと訴えている。


解決してやらねばならないのじゃあるまいか。


そうだ、確かこの人の好みの物は…
云々かんぬん…」
と続いてしまう。


その結果、
「この飲み物・食べ物、
はたまた店は私の望んでいた物とは違う。


貴方の責任だ。


第一私は
(喉が渇いた・腹が減った)とは言ったが、
あなたに
ドウニカシテクレなどと頼んだ覚えは無い。



これは、

全て貴方の望んだ事で、

私のではない」



などと言われるのがオチだったりする。



全てを言葉通りに受け止めれば、
その先どうするかは、

それこそ、


私次第なのだ。





ちょうど私も喉が渇いているな、
ではそろそろ飲み物でも飲もうか、

なり、

私は喉は渇かない、
でもそろそろどこか座ってもイイ頃合だ、

なり、




自分の責任と
自分の意思と


で話を進めることができるのだ。





「この荷物が重くて難儀だ、
申し訳ないが少し手伝って(休ませて)
もらえないだろうか」と、

自分の頼みを

ハッキリ言葉にして


"please"




を付けられない人間の
『内なる思い』など、


こちらが読んではいけないのだ。